OB会について

【目的】

同志社グリークラブOB会(以下OB会)の規約第3条にその目的が次のように定められている。
「会員相互の親睦と同志社グリークラブ(以下グリークラブと記述)を援助することを目的とする。」
また、OB会設立のいきさつもその趣旨にそったものであった。
創立70周年の際にも、グリークラブの世界合唱祭への参加決定やその支援を行う中でOB会の必要性が叫ばれていた。
1975年創立者片桐哲先生の米寿のお祝いを開催するに当たって、その準備委員会が発展的にOB会設立準備委員会となり、OB会の設立をみたのである。
現役支援のためと、創立者片桐先生のお祝いの会が契機となって設立されたOB会はまさに「グリークラブ支援とOBの親睦」の二つの行動によってできあがった果実と言える。

【組織】

OB会組織は 会員・会友・学年理事会・運営理事会 で構成されています。


組織図



【運営理事会】

 OB会の組織は執行部か「幹事会」、審査・承認を行うのが[学年理事会」というようになっていた。殆ど京都在住者で形成されていた幹事会の決議事項は、学年理事会にて再度審議され、承認された事項のみ実施されていたが、幹事会にて再度検討を指示された案件も多くあった。このため、決定を急がれる案件でも、その最終決定に数ヶ月要したことも多々有り、皆それぞれ限られた時間を有効に使うのが難しい状況にあった。この問題を取り除くためには、幹事会・学年理事会の二重の組織を無くし、組織の一本化を図ることが必要であるという機運か高まった。松村時男氏(昭35年卒)が会長、岡田哲氏(昭52年卒)が幹事長であった1994年から1995年にかけて会則を改正し、これにより幹事会を廃止し、全ての審議一決定は学年理事会で行うこととなった。なお、これに伴いこれまで幹事会が行っていた実務については学年理事が分担することになり、現在に至るのである。

「百周年記念誌より」

【グリークラブの由来】

十八世期、英国に於て著しく発達した合唱曲をGLEE・SONGと云う。
大体英国民は古くからコーラスを愛し、その家庭的な雰囲気に於けるコーラスは
彼らの日々の生活に潤いを充たすとともに明日の精気ともなっていた。
17世紀には少数の人々で歌うために作られたマドリガルが流行したが、
それに続いて生まれたのがこのグリーソングであり、その曲調はマドリガルよりいっそう華やかである。
数人の男性合唱に依り歌われ殆どが無伴奏である。
歌詞は自由詩のようなものが多くその一連の詩の個々の気分を愉快に喜悦をもって表現される。
その曲は比較的短く独立した数章に分れ多分に和声的である。
18世紀後半になってくると、このグリーソングを歌う合唱コンクールが頻繁に行われ
その合唱団をグリークラブと云ったが、時代の推移に従ってやがてグリーソングに似た性質の
歌を歌う合唱団をも「グリークラブ」と称する様になった。

50周年記念誌 53ページより