記事掲載日:2021.02.19

「クラウス・シュペネマン先生を偲ぶ」

髙梨 純(S62卒)


 去る23日(水)、元同志社大学文学部名誉教授クラウス・シュペネマン先生がお亡くなりになりました。享年83歳でした。突然の訃報に接し、先生と同志社グリークラブのご縁を振り返り、あらためて先生を偲びたいと思います。

 1983年~90年代、同志社グリークラブは、計5回の欧州演奏旅行を実施しましたが、そのほとんどに、当時同志社大学文学部の教授であられたクラウス・シュペネン先生に様々な支援を頂きました。私が現役時代の第2回の欧州演奏旅行(1986220日~313日)では、遠藤先生(名誉顧問)とともに、シュペネマン先生に旅行の企画段階よりご指導いただき、更に西ドイツ、東ドイツ(当時)、スイス3カ国の演奏旅行に随行までしていただきました。

 きっかけは、初のドイツへの演奏旅行ということで、ドイツ語の正確な発音を指導していただく先生として、遠藤先生からご紹介いただいたことが始まりです。演奏旅行曲目のアンサンブルを行なった新町別館401にも何回もお越し頂き、発音指導を頂きました。
 例えば、シューベルトの「Heilig」を演奏すると、
「うーん、ちがいますなぁ~。ドイツ人には、伝わりませんなぁ~。末尾の「g」は、「ック」じゃないと。ハァ~イリックですなぁ~。」と一つ一つ丁寧に指導頂きました。
 また、東ドイツの各演奏会場は、出発前に旅行会社経由でほぼ確保されていましたが、社会主義国ということもあり、詳細は直前まで不明、又は行き違いも多々あり、先生は西ドイツ入国直後から、毎晩、ホテルの電話で延々、集客の確認、演奏会準備の細部を詰めて頂いていました。特に、ドレスデン・聖十字架教会の演奏会前日には、当局?からの指導で、急遽「曲目の半分を宗教曲にしてくれ」という緊急事態に陥ってしまいました。用意していた宗教曲の持ち歌だけでは足らず、宗教曲以外の持ち歌から、黒人霊歌、果ては「いざ立て戦人よ」までも提案し、「これも、宗教曲ですなぁ~。」と、巧みに主催者側をねじ伏せて頂いたこともありました。
 そして、ほとんどの演奏会場で、自ら司会進行役を務められ、巧みな曲目紹介(特に日本歌曲)によって、ドイツ人の聴衆の皆さんは、聴き慣れない曲目の理解が深まり、並々ならぬ集中力でお聴き頂くことができました。結果として曲間の拍手のみならず、教会という神聖な場所にもかかわらず、演奏会終了後も席も立たず、拍手と足踏みでアンコールを求めてやまないという演奏会を、東ドイツ・ドレスデン、聖十字架教会を頂点に我々グリーメンは、何度も体験することができました。

 この体験は、ドイツで生まれ育ったシュペネマン先生にとっても、衝撃的なご体験だったようで、帰国後に発行された「演奏旅行報告書」にお寄せいただいた先生の文章には、このようなコメントがありました。
中略…この合唱団が長い音楽の伝統と一流の合唱演奏に耳慣れたヨーロッパの聴衆の批判に耐えられるかどうかについては、疑いを持っていたことを告白せねばならない。
それだからこそ、ドイツ及びスイスにおいての聴衆の反応については、全く予期できない驚き以上の何ものでなかった。
私は今迄、通常は比較的冷やかで、どちらかというと堅いドイツやスイスの聴衆が、あれ程迄熱狂的に演奏会で反応したのを体験したことがない。この演奏旅行の始めから終り迄、全てそのようにいったのだから、全くの脱帽だった。…中略
何故、グリークラブがこれ程大成功の旅をすることが出来たか、今でも謎である。
常日頃口の悪いことで知られる批評家の書いた新聞の報告でも種々の点で賞賛されていた。何よりも、高い質と多大な表現力、合唱団の訓練とまとまりの良さ、そして合唱団が自然に、あたかも“心から”歌っているかのような印象を与えたことだ。同時に彼らは、同志社グリークラブがヨーロッパの一流の合唱団に勝るとも劣らない合唱団であると記したことだ。(以上、先生のコメント原文のまま)

そんなシュペネマン先生も、演奏会後の食事会では、ドイツ人らしく大好きなビール、ワインをたくさんお飲みになり、真っ赤なお顔で我々のテーブルを回りながら「今日の演奏も、ほんとうによかったですなぁ~。大いにうけましたなぁ~。」と、陽気にお話されていたことが、よみがえってきます。
欧州演奏旅行の成功は、遠藤先生、指揮者として同行頂いた富岡 健先生のお力もさることながら、シュペネマン先生の、この縁の下の力持ち的、絶大なバックアップ無くして成り立たなかったことは、明らかです。

 卒団後は、お会いする機会もないままでしたが、ちょうど10年前の同志社OBシンガーズの第1回演奏会(201136日 大阪明星学園チャペル)にご来賓としてお招きしました。演奏会終了後のレセプションでは、同志社グリークラブ、随行された欧州演奏旅行での思い出を懐かしく、そして愛情たっぷりにお話頂きました。その時にお会いしたことが結局、最期になってしまいました。

 先生がドイツ人として、来日され同志社で教鞭を執られる中で、同志社グリークラブ、そして欧州演奏旅行との出会いは、先生にとっても、我々グリークラブにとって、ある種必然だったと、思えてなりません。直接、先生の授業を生徒として受講したグリーメンは、当時は少なかったと思いますが、この演奏旅行という濃密な22日間を先生とご一緒できたメンバーは、本当に幸せだったと、あらためて感じています。

クラウス・シュペネマン先生、愛情たっぷりの数々のご指導ありがとうございました。
どうか、天国で安らかにおやすみください。
心から、ご冥福をお祈りいたします。



① 演奏会での司会風景(1986.3.9 チューリッヒ、グロスミュンスター教会)



② 演奏会後の食事会での談笑(1986.3.4 ドレスデン、聖十字架教会演奏会後?)



③ 最後にお会いした時の先生の笑顔(2011.3.6 DOBS1回演奏会レセプション)