〈グリーサルーン・デジタル版〉


116回定期演奏会を聴いて
~オンライン配信関係を中心に~  

記事掲載日:2021.02.04


116回定期演奏会を聴いて
~オンライン配信関係を中心に~               

                                小林 啓
(平成5年卒・日本放送協会 制作部 チーフ・ディレクター(音楽・芸能担当)


はじめに

コロナ禍で、人々の生活から潤いとゆとりが失われていったこの一年。音楽、舞台の世界もその波に呑まれ必死にもがいている様子に触れるのは、公私ともに心苦しいものでした。
なかでも「大勢の人々が密になって声を出す」ことで成立する合唱の生演奏への風当たりは相当強いものでした。そんな逆境の中定期演奏会を実施し、成功裏に導いた現役の皆さん、ステージマネージャーの皆さんに考えられる限り最大の賛辞を送りたいと思います。
さて今回の演奏会、筆者はオンラインで視聴しましたが、感心したのは想像以上のオンライン配信の充実振りでした。そこで演奏の素晴らしさについては別項に回して、まずはオンライン配信に焦点を絞って私なりの感想を書かせていただきます。
「聴衆と一体になったステージ」を標榜する同志社グリーのモットーから外れた行為なのでは?と疑問を持たれる方もおられると思いますが、「放送と音楽」に携わるものからの視点ということでご理解いただければ幸いです。

音声

コンサートのオンライン試聴において皆さんが最も気にされるのが音質だと思います。
特にパート毎に立てたマイクをメインに据えるポップスやジャズと違って、クラシックの場合はホールそのものの響きが非常に重要になってきます。それゆえ「京都コンサートホールの音をどこまで聴かせる音にして流せるのか」不安に思うのも無理はないでしょう。私も正直、開始前はやや懐疑的でした。
しかしエールの「One Purpose~」を聴いた瞬間、それは杞憂だったと確信しました。
30人とはとても思えない重厚なハーモニーが、ホールの空気ごと届いていたように思われたのです。
マイクの性能とポジション設定が非常に適切だったのが大きかったのでしょう。
ホールを楽器として鳴らすクラシックにとってマイクの位置と方向はとても重要なのですが、民間用のマイク一本でここまで豊かな響きが録れるというのは大きな収穫でした。
もちろん現役の皆さんの素晴らしく訓練された技術(発声、歌い回し等)あってこそなのですが(各パートセカンド以外同人数ということもあり、非常にバランスの取れたサウンドだった)。
余談だが、私どもの音声技術サイドにおいて京都コンサートホールは非常に収録がし易いという意見が多いです。ブレンドされ過ぎず、クリアな音像が録れるとのこと。

映像

カメラは正面側3台、裏1台の計4台。非常にスタンダードな配置ですが、それをしっかり使い切っていた印象。合唱の映像表現というのは実は難易度が高いのです。
基本大きな動きがない集団のショットになるゆえ画のバラエティがつけにくく、どうしても飽きやすい。またパートの分かれ目をきちんと把握しておかないとミスショットが増えるものですが、今回はほぼノーミスでストレスなく見られました。
また裏側からの1台で指揮者の表情や動きをとらえることで、歌い手がどう応えるか、次にどんな音楽が奏でられるかにより深く入り込めました。これは通常の客席位置からではわからない楽しみ方だと思います。
欲を言えば曲のカット線をオーバーラップにしない部分があれば、より音楽に沿ったものになったかもしれませんが、これは準備期間を考えると致し方ないことかも。※

ステージ構成&進行

3ステージそれぞれの間に10分の休憩を挟む構成はコロナ禍中考え抜いた結果でしょう。
休憩中にはカレッジソングの歴史をまとめたVTRを流すなど、無駄のない作りでした。本当は休憩毎に違ったバージョンが出来ればベターでしたが、これも準備期間を考えると詮ないことですね。そんな小さな不満を補って余りあるほど終演後のメッセージは素晴らしかった。明けない夜に冷たく光る月の光の中、それでも生きていこうという意思表示に目頭が熱くなりました。

演奏

会場で聴いた方とは若干異なる印象かもしれませんが……。
先にも書いたように、カレッジソングの冒頭でその腰の据わったかつクリアなサウンドに圧倒されました。続く第1ステージ「雪国にて」は多少固さがあったものの各ソリストの声も表情付けも見事。第2ステージ「ロバート・ショウ」のゆとりある歌を経て、第3ステージ「月下の一群」の、押さえても抑えきれない情動は、歌う場を奪われた現役の皆さんの一年分の「心の叫び」をぶつけられたようでした。技術を超えた音楽の存在をここまで感じられる演奏会、個人的にもそうなかったのではないかと思います。

まとめ

今回のオンライン配信は、この一年私が体験したもののなかでも音と映像の質、構成とも素晴らしいものの一つでした。冒頭にも記したように「聴衆と一体となったステージ」をモットーとする我々同志社グリーとしては、ともすれば避けたいものなのかもしれませんが、これだけ高いレベルの配信であれば、コロナ禍をきっかけとしたとはいえ、それを超えて遠距離や体調など何らかの理由で会場に来られないお客様に、同志社グリーの歌を届けるための有効な手段として活用する方向を目指せばいいのではないでしょうか。
願わくば、今度は満員の客席と万雷の拍手とともに世界中に配信出来る日が一日も早く訪れますように……。





※オーバーラップ……映像編集技術のひとつ。一つの画面を消しながら、重ねて次の画面を映し出す方法のこと。音楽映像では画の変わり目のショックを和らげたいときなどに
使われることが多い。ただ切り替えが曖昧になり、前後の映像が混ざっている状態が
美しくなくなることもあるので、テンポの速い曲、1カットの短い曲では避けた方が良いとされる。