<OB会情報>卒団30年会のご報告(幹事学年昭和56年卒)

開催日:2011年(平成23年)10月15日
会場:新島会館


30年会を振り返って 30年会の報告をということで書き出してみましたが、当日のことは喜びと興奮があっただけで具体的なことははっきりとは覚えていません。それでも、何とか記憶を引っ張り出して当日のこと、あるいは当日までのことを振り返ってみたいと思います (S56年卒 増田佳昭)




○故池尻君の記念式のこと
我々同期の指揮者池尻君があまりにも早く生涯を閉じたのは2008年5月でした。今回我々が30年会の幹事学年となってまず考えたのは池尻君のことをどうするかということです。30年会とは切り離して、しかしかつて彼と一緒に歌った皆さんにもぜひ彼のことを思い出してもらいたいとの思いで、30年会の前に記念式という形で開催させていただきました。司式はS57年卒の木谷牧師。木谷牧師は当日地元で参加している合唱団の定期演奏会があるとのことでしたが、S56年卒の鈴木氏の脅しによって快く参加してくれました。


○歌のこと
今回の30年会のコンセプトは「とにかく歌う」ということでした。色々な余興を考えるのは面倒だとか、歓談の時間が長いと料理が少ないのがばれてしまうという理由ではなく、歌うことで久々に集まった先輩後輩達とかつての時間を共有したいという思いでした。練習は時間がほとんどなく、各曲を数回通しただけです。学生時代あれほど時間をかけて練習した曲も、なぜか???の連続だったり、歌詞に口がついていかなかったり、そして何よりも問題だったのは楽譜の文字の大きさ。老眼には厳しすぎる現実!しかし本番ではそんな問題も見事クリアして、見事な演奏。多分途中で止まってしまうという大方の予想を覆し、往年のグリートーンを響かせたのでした。もちろん「酒」という伴奏の力が大きかったのは真実です。


○ビデオレターのこと
今回の目玉企画。それは大久保先生と久邇先生からのビデオレター。大久保先生のお顔がプロジェクタからスクリーンいっぱいに流れた時にはそれまで勝手な話をしていた面々が画面に釘付けになりました。しかもS56卒の幹事長多々君の発声練習、ミ~メ~マ~、ミ~メ~マ~。久邇先生は「ゆうやけの歌」のイントロを演奏しての登場。昨年30年会にいらっしゃいましたがやはりお元気です。お二人を撮影したのは坂本君、某公共放送勤務の腕を活かし(機材を借用し?)見事な撮影・編集でした。ちなみにBGMは「坂の上の雲」のものでした。


○音源デジタル化のこと
30年会の記念品をいったい何にしようかというのは毎年頭を悩ますことでしょうが、今年は割とすんなり決まりました。打ち合わせ会の時誰かの(実は私の)「現役時代の定演のレコードがあるがプレーヤーが壊れ聴くことができない。これをデジタル化してみよう」という発言で即決定。これだとCDを焼くコストだけなので安くできてしまうということも魅力でした(コストの話ばかりで申し訳ありません。結構厳しいことが予想できたので…)しかしながら作業を始めてみるとこれが大変!我々が1回生だった73回定期のレコードが作成されていない。京都会館で録音したマスターテープ探しから始まり、苦労の末何とか見つけだすことができたマスターテープはオープンリール。これはさすがに我々ではどうしようもないので業者に依頼しマスターCDを1枚(!)作成しました。これを元に今回30年会を卒業されるS53卒の先輩方に「同志社グリークラブ第73回定期演奏会」のCDを記念品としてお渡しすることができたのでした。大勢の一回生でたいへんご迷惑をおかけした当時の四回生への僅かでもお詫びになったでしょうか。

ここまでできると勢いにのって74回~76回定期もレコードからデジタル音源に、更に27回~29回の東西四連もデジタル化をしてしまうという怒涛の勢い。容量圧縮のためにMP3にすることにしたものの、ファイル容量が合計で1GBを超えてしまうということでDVDに収録することに。そして30年会直前にできあがったマスターDVDをひたすらコピーする作業を続けるのでした。レコードからのデジタル化を行なった小野田君、それをファイル分割などの面倒な作業を行なった鈴木君と奥田君。コピー作業もほとんどこの二人で行なってくれました。こうして同志社グリーのかつての名演奏は息を吹き返したのでした。



○2次会のこと
2次会もひたすら歌う。ということで2次会用の楽譜も用意して準備万端でした。その中で一番盛り上がったのはS58年卒の松井君の指揮(振付?)による“St. Paul’s will shine to-night“。四条河原町に立教の校歌が高らかに鳴り響きました。そのうち立命(でしたよね)のOGのおばちゃんの乱入があったりで、訳の分らんうちに楽しい時間が過ぎていきました。この2次会で名幹事ぶりを発揮したのが笹田君。ミュンヘン2階の貸切交渉をしてくれ、更には貸切条件の最低人数がどうも集まらないというみんなが真っ青になっている事態に更に交渉を重ねてくれました。ありがとうミュンヘンさん。


○同期のこと
S56年卒は人数が多いわりには、OB会は学年幹事の常盤井君にまかせっきりで、現役の演奏会もごく僅かの人数だけが聴きに行くという他のOBの方々からはあいつらはどうなってるんやという学年です。が、実はとても団結力に溢れた学年というのが自慢です。学年単独で25年会を実施した時もかなりのメンバーが参加しましたし、今回の30年会も同期26名のうち、どうしても仕事で参加できない2名以外は全員参加でした。準備作業も実務は関西在住メンバーが中心になりますが、それ以外のメンバーもメールを中心に積極的に参加してくれました。特に9月以降は毎日頻繁なメール交換が行なわれ、中には仕事以上に熱心に関わっていると思われる奴も…。幹事だけが頑張って30年会を実施するのではなく、全員でやり遂げることができました。

まだまだ書きたいことがありますが、そろそろお終いにしたいと思います。
当初は集まって、歌って、飲んでそれでお終いと割と気楽に考えていたのですが、実際に幹事学年として活動してみるとそんな単純なものではなく、まただからこそやって良かったと思える30年会にすることができました。30年会も同志社グリーのすばらしい伝統のひとつなのでしょうか。参加してくださった皆さん、そして離れた地から気持ちだけでも参加してくださった皆さん、ありがとうございました。76回定期の「雪と花火」を聴きながら…。




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