〈OB会情報〉
2018年「50年会」開催のご報告
対象学年:S40年卒〜S46年卒(幹事学年S43年卒)

記事掲載:2018.12.07

平成30年 50年会  幹事の私的回顧録

               

幹事学年 幹事 神谷洋司(昭和43年)


 今年の卒業学年は同志社グリークラブ創立60周年の4年生の皆さんです。
 私は1年生。御所生活の傍ら、先輩方の数々のステージの見学(聴視)も練習の一環でした。デュオパのミサは何度も何度も客席で聴かされました。私たちもこんな凄い曲が歌えるのか不安でしたが、1年生はセレクト対象外と知り、安心したり残念がったりした思い出がよみがえってきます。

 50年会の会場でメサイアと定演のPRの為に来訪の森一就現役幹事長の姿を見つけ、50年後の50年会の自分の姿が想像できるか尋ねてみました。「想像の範囲を大きく超えていて、全く浮かばない。」確かに私も現役時代は。そして今日、その現役時代には想像すら出来なかった50年会に全国から64名もの仲間が集い。まもなく開宴。

 受付で入野賢二さん(昭和43年)と受付にやって来られるメンバーの50年前の顔と名前がすぐに思い出せるかどうかの話をしていました。入野さんは思い出せる人2割。私は6割。50年の時の長さを間近に感じた受付時間でした。

 今回の幹事は川上貴裕さん、中根敏雄さん、山根廣さん、そして私の4人です。
4月、6月、10月に私の出張日程に合わせて3回の幹事会を京都で開きました。「楽しかった、来て良かった、と言われる会にしよう。」「楽しく準備を進めよう」が合い言葉。毎回の幹事会で企画を練り上げ決めてゆき、楽しんで準備作業を進めてゆきました。

 まず、全員合唱は全学年共通の曲を3曲に決めました。50年の間、歌い続けているメンバーもいます。そうでないメンバーもいます。HailOur GleeClub、College Song、詩編98の3曲をセレクト。これなら全員歌えます。本番は中川清さん(昭和40年)の54年ぶりの指揮に感動と感涙のHailOurGlee Club。久野春雄さん(昭和43年)の棒で「詩編98」も楽譜のお陰もありパーフェクトの出来。最後のCollege Songは当時のテンポ88で荘厳に、しかも熊谷信治元幹事長(昭和43年)の同志社チェア付。会場には久しぶりに同志社グリーの懐かしい音色と心地よい響きとこだま音。

 目玉企画は、50年前の私たちはどれほどの合唱をしていたのか。日本一、歴史に残る名演奏とか云い伝えられています。では みんなでそれを聴いてみよう。選んだのは「月光とピエロ」。昭和41年6月11日、京都会館第一ホールでの第15回東西四連のライブ録音(モノラル)。勿論、福永陽一郎先生の指揮です。

 私が残していた貴重な音源で、何度も何度も聴いてきました。確かに「名演」です。でも、何でこんなにも名演なんだろう?と思い続けて聴いていましたが、当時の福永先生の細かい音楽指示を書き込んだ楽譜を目で追いながら聴いてみたら、その名演の秘密がわかりました。楽譜にはp,pp,f,ffやクレッシェンド、ブレス、ノンブレスなどなど、陽ちゃん先生の驚きの細かい細かい指示が赤ペンでぎっしりと書き込まれています。まずはその細かい表情豊かな福永先生の音楽指示が名演の秘密。そして、それをグリーメンが丁寧にしっかり守って、有り余る若いエネルギーで楽譜の指示通りの合唱に仕上げた事が名演と言われるもう一つの秘密。

 50年会の本番で、私は司会者席から「月ピエ」に聴き入る皆さんを眺めていました。その眺めは忘れられません。楽譜を追いながらじっと音楽を聴いている全員が正に「同志社グリーメン」そのものの姿。50年前の現役そのままの姿。「月ピエ」の演奏が終わっても、しばらくは少し静か。皆さん、まだ50年前のタイムスリップからしばらく帰れない。

 そして卒業記念品。最近はレコードを聴きたくてもなかなか聴くことが難しい時代です。60周年記念定期演奏会のレコードがあります。昭和39年11月23日、京都会館第一ホールでのライブ録音(モノラル)です。記念依嘱作品「わが歳月」全曲、デュオパのミサからキリエ、グローリア、フランス民謡集(3曲)スピリチュアルズ(2曲)シューベルト男声合唱曲集(2曲)、名演の貴重な記録です。

 このレコードをCDにして卒業記念品としました。記念品贈呈の前に、卒業生の土生邦彦さんから60周年の思い出のスピーチをお聞きすることが出来ました。

 大阪、京都、神戸、東京と11月18日から12月4日までの17日間に4回のハードな定期演奏会の公演。日本語、ラテン語、ドイツ語、フランス語、そして英語と5カ国語で歌ったこと。ピアノの椿園子先生やエレクトーンの伴奏でのフランス民謡のお話。懐かしい思い出のスピーチの数々が自然と今回の卒業記念品に結びつくお話でした。

 50年会参加の皆さんにもお裾分け。残念なことに、CDにはシューベルトとフランス民謡の一部にレコードの傷音が入ってしまいました。少し聞きづらいと思いますが傷音の為に、レコードで聴いている?と錯覚されるかもしれません。

 会を終えて、小亀 豊さん(昭和41年)から慰労のメールをいただきました。その中に「・・・この50年会は、もちろん30年会、40年会の催しも総合して、グリーの文化の継承、グリーメンしか体験しない、ある種の青春から今までの人生の来し方を表現した、素晴らしいイベント。また同志社グリーだからこそ味わえる名イベントだと言えます。この仕組みやシステムを考案された先人に実に感謝したいですね。また、これを代々大切に継承して来た後世の今回の43年組の皆さま、そしてわたしたちも大いに賞賛され、誇りたいものですね。」と綴られていました。終わってみると心にしみます。

 来年の昭和44年組のみなさん、継承のグリーバトンは確かに渡しましたよ。昭和45年組のみなさん、そろそろ心のご準備を。そして昭和46年組のみなさん、頼みましたよ私たちを。

 今回の50年会も楽しかった懐かしい思い出の仲間入りをしてしまいました。楽しく準備を進めてきた4人の幹事にとっては嬉しくもあり、そして淋しくもあり。


回顧

  
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