〈OB会情報〉

OB会会長 就任ご挨拶

記事掲載日:2018.07.14


新たな決意 ~会長就任にあたって



 平成30年5月27日新島会館に於ける「同志社グリークラブOB会総会」の席上、第6代目OB会会長にご推挙戴き、就任致しました 新井克次です。 
 もとより浅学、力量不足を自覚しつつ、唯々、同志社グリークラブとOB会へのご恩返しを肝に銘じ、東京在住のハンディを乗り越え、力を尽くす所存ですので、何卒宜しくお願い致します。

 「同志社グリークラブOB会」は昭和51年に設立されました。その設立のきっかけとなった出来事が、昭和49年にニューヨークのリンカーンセンターで行われた「第4回世界大学合唱祭」への私たち現役同志社グリークラブの参加でした。その渡米は合唱祭を挟んで30日間、アメリカ各地で14回のコンサートを行うという大規模なもので、全額個人負担を部員に強いると参加者は激減することは目に見えておりました。

 その時、遠藤先生やOB諸先輩から「現役を行かせてやろうではないか」という声が上がり、派米委員会が組織され、OB名簿作成や募金活動が行われました。そして現役のアメリカ演奏旅行は大成功裏に終えることができました。当時の現役幹事長だった私は世間知らずで、OB諸先輩からひとつひとつ指導をいただきながら準備にあたったのですが、その経験が私のその後の人生における大きな財産となっております。
 
 創立者の片桐哲先生はOB会設立5周年の折り、「OB会の使命はまことに大きいと言わねばなりません。と申しますのは、OB会は自分達の現役時代に思いをいたし、その時代、時代に置かれた任務を果たす役割があるからです。」と、OB会の役割が時代対応であるべきと仰っています。

 今、平成年代が終わろうとする時「その時代時代に置かれたOB会の任務」とは何でしょう。

 6月24日「第67回東西四大学合唱演奏会」を聴いてまいりました。いずれも熱演・名演であったと感じておりますが、気になったのは、オンステ人数でした。関学、早稲田、慶応、同志社の順で、同志社は関学の半分ほどでした。演奏の質は人数と直結しませんが、グリーの活動の幅と質の維持には一定以上の人数が必須と思います。各校が置かれている環境は大きく違いますが、自戒を込めてOB会と指導者の役割は大きいと痛感しました。
 
 OB会への参加は任意であるものの昭和50年卒以降のグリーOBは、少なからず、OB会の支援を受けて現役活動を行ってきています。今、やはり自分達の現役時代に思いを馳せ、その思いを現役に向けて再び発すべき時ではないかと感じています。

 当然ながらOB会の役割は「現役支援」とともに、「会員相互の親睦」があります。多くのOBが、同時代を過ごした仲間に加えて、年代を超えたグリー卒業生としての交流に大きな意義を見いだしています。

 30年会、40年会、50年会など大変充実したOB親睦会、大阪クローバークラブ、東京クローバークラブ、同志社グリークラブOBシンガーズ、木曜会、讃美歌研究会などの合唱団体、そして、OB会の公式合唱組織であるクローバークラブの東西OB四連への出演等です。しかし今後は「これらの活動の充実」に加えて、「歌っていないOBの交流」、「現役とOBの交流」など、この時代における今後の有り様を皆さんとともに、考えていきたいと思っております。

 また、私の力不足を補っていただく為に、理事会にお願いし、S51卒:村上利行氏、S51卒:伏村淳二氏、S52卒:岡田哲氏、S52卒:山下裕司氏に、会長支援メンバー(会長代行)として、主に同志社大学や他団体などとの対外連携にご尽力いただくことといたしましたので、併せてよろしくお願い致します。

 最後に、これまでの現役支援、OB会活動に対して継続的にご支援をいただいているOB諸氏に、改めて心から感謝を申し上げるとともに、引き続き強力なご支援を賜りますようお願い申し上げます。さらに、日常的に会務を遂行していただいている理事長・運営理事の各位、及び、学年理事の皆様には心より感謝しつつ、さらなるご尽力を賜りたいと切に願う次第です。


昭和50年卒 新井 克次 


新井克次氏のプロフィール

現役時代の氏名:吉川博 S46年グリークラブ入部 Top、2回生:外政マネージャー、四連マネージャー、3回生:幹事長、4回生:渡米学生代表
11OB会理事長
元 (株)小田急百貨店専務取締役

OB会長推薦の経緯については、特別委員会答申書をご参照ください。

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